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中越地震復興「蒼柴の杜」

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中越地震復興「蒼柴の杜」
ブログ紹介
中越地震からの復興を願いながら、気が付くままに綴ることにします。

「この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。学校をたてて、子供をしたてあげてゆきたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかり知れないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ」(米百俵より)
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2012年謹賀新年

2011/12/31 01:01
謹賀新年

中越地震から8回目の正月を迎えました。

みなさまのご健康とご多幸をお祈り致します。    寅太


(姉妹版)中越地震復興「寅太の山野草」

(ホームページ)慈眼寺のホームページ“管理人のひとりごと”

(新しい年もホームページとブログを訪問していただきたいと願っております)

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原発避難想定区域

2011/10/23 14:53
10月23日の中越地震の7周年を前にした21日の新潟日報に、驚くような原発防災地域案が載っていました。原子力安全委員会の事務局が、作業部会に示しました。これによると、原発の半径約5キロ圏内は、予防防護措置区域(PAZ)で、特定の事故発生で直ちに避難する区域。約30キロ圏内は緊急防護措置区域(UPZ)で、避難、屋外退避の準備をする区域で、これには長岡市がほとんど入ります。さらに約50キロ圏内が放射性よう素剤配備などの準備をする区域で、新潟県の主要都市がほとんど入ります。
いま、東京電力の電気料の値上げが議論され、ただちに値上げしない条件として、柏崎刈羽原発の稼働を条件としています。しかし今回示された見直し案では、従来の9万6千人から80万9千人(30キロ)になります。
今回の見直し案の提示で、従来の原発交付金を見直さない限り、原発の再稼働は難しいように感じました。

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(防災対策見直し案)



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2011年米百俵まつり

2011/10/17 09:52
本年度の米百俵まつりが10月8日(日)に、長岡市の中心街で開催されました。市民約500人が扮する時代行列が、米百俵まつりの呼び物です。
今回は年末に公開を控える映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」で、五十六の側近を演じる俳優の吉田栄作さんが、映画で着用した白い軍服姿で登場し、観客の拍手を浴びました。
画像は馬上姿も凛々しい、第17代長岡藩ご当主の牧野忠昌さまです。

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(馬上は旧長岡藩ご当主牧野忠昌さま) 



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奥州からのうれしい便り

2011/06/13 10:48
東日本大震災の被災地の奥州市に知人がいますが、地震の後に現地で手に入りにくかった電池やホッカイロなどの雑貨を送りました。現地への郵パックも最寄の数少ない郵便局留まりで、受け取りにも苦労されたと思います。
本日、思わぬ宅配便が届き、うれしくて撮影させていただきました。もちろん被災地への物資の送付ですから、お礼など予想もしていませんでしたが、岩手の名産の数々を見ますと、うれしくなってきました。奥州市は内陸とはいえ、半壊だったとのことで、一日も早い復興をお祈り致します。

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平成23年度招魂社祭開催

2011/05/20 23:51
本年度の招魂社祭が5月15日(日)に、蒼柴神社の招魂社で行われました。今年も全国から多数の参加があり、おごそかの中にも盛大に取り行われました。
引き続き参集殿にて、柏友会の総会があり、佐藤守会長の挨拶に続き、名誉会長の旧長岡藩主牧野忠昌様、名誉顧問の旧三根山藩主牧野忠由様のご挨拶がありました。
今回の記念講話は、北海道教育大学の小川和也先生の「長岡藩の学問と藩政改革−『御家』の思想と秋山景山」でした。
その後直会に移り、牧野忠昌様の乾杯により、参加者の懇親を深め、来年の再会を願って散会となりました。

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東北関東大震災

2011/03/18 05:51
大震災お見舞い申しあげます

地震の終息と被災地の一日も早い復旧を祈ります。

    寅太


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2011年謹賀新年

2010/12/30 18:08
謹賀新年

中越地震から7回目の正月を迎えました。

みなさまのご健康とご多幸をお祈り致します。    寅太


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越後長岡藩抱え屋敷

2010/11/01 00:26
建設中の東京スカイツリーは、高尾山からは新宿副都心の高層ビルの上に見える。スカイツリーの建設地の墨田区を調べていたら、偶然にも旧長岡藩の抱え屋敷があることがわかった。すでに江戸の長岡藩の藩邸として、上屋敷、中屋敷、下屋敷について述べてきた。スカイツリーの建設地から500mも離れていない所に、長岡藩の縁の屋敷があったのには驚かされた。
整然と区画整理が行われた向島3丁目で、都立本所高校の西側だけが複雑に湾曲しているのは、抱え屋敷が存在して名残りであろう。
抱え屋敷の付近を歩いたのは、先日の10月25日のことであるが、屋敷跡地からスカイツリーを撮ったが、その日の午前にスカイツリーの本体部分が最高点に達したことがわかったのは家に戻ってからのことである。
抱え屋敷の地形調査で偶然撮ったスカイツリーは、「長岡藩抱え屋敷」にまとめた。2012年の春にスカイツリーは完成するが、展望台から抱え屋敷跡を見るのが楽しみである。

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(都立本所高校の西に長岡藩抱え屋敷、右下に建設中の東京スカイツリー) 

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(江戸切絵図に長岡藩牧野備中守) (スカイツリーの本体部分が最高位に) 



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中越地震から6年を迎えました

2010/10/23 12:00
10月23日がやってきましたが、今年は中越地震から6年目になります。
新聞でも中越各地区の報道してますが、年々記事が小さくなっています。特に朝日新聞は紙面を探さないとわからないほどの取り扱いになっています。
こんな中で毎日新聞は24日の朝刊1面に、「3000本の祈り」として、山古志の追悼式の模様を報道しています。
各社共通の記事は、妙見(榎峠)の土砂崩れのなかから、奇跡的に生還した皆川優太君がすくすくと育っていると報じています。当時2歳だった優太君も8歳になり、小学校3年の活発な少年となっているようです。

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(2004年10月23日、古戦場の榎峠の崩落)

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(船岡山西軍墓地の復興モニュメントから)

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山野草はgooに戻りました

2010/03/26 04:59
1週間の休みにはいっていましたgooのブログは、本日から元に戻りました。
ありがとうございました。

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(本日のgooのブログはツルネコノメソウです)

(復旧しました)

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葯の落ちたハナネコノメ

2010/03/25 00:50
裏高尾の日影林道入口付近にあるハナネコノメ(花猫の目)は、旬を過ぎ雄しべの赤い葯がほとんど見られなくなりました。同じ裏高尾でも小下沢林道の奥地では、まだ葯が残っている。
日影林道にはまだハナネコノメ目当てのハイカーが多く、葯の落ちた白だけの花でも、みんな綺麗だと話し合っています。真っ赤葯を見た人には、葯のない花はノッペラボウのようで、物足りなく感じてしまいます。
さて、1週間の休みにはいっていますgooのブログは、体調も整ったので、次回からはgooに移ります。
引き続き宜しくお願い致します。

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(雄しべの葯が落ちたハナネコノメ)

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(葯がない日影林道入口)      (葯のある小下沢林道の奥地) 

(裏高尾)

(復旧しましたがしばらくお休みです)

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裏高尾の民家のショウジョウバカマ

2010/03/24 00:15
裏高尾で見事な山野草が生えている民家があり、いまは春の花が咲き乱れています。ショウジョウバカマ(猩々袴)もその一つですが、その中に少し変わった品種があります。
まだはっきりしていませんが、その特徴からツクシショウジョウバカマ(筑紫猩々袴)と思われます。
今年も品種を断定できないということは、昨年からまったく進歩がないということでしょう。

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(落ち葉と同じような色で咲いているツクシショウジョウバカマに似た山野草)

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(ツクシショウジョウバカマ?)    (こちらはショウジョウバカマ) 

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(裏高尾の民家)
(復旧しましたがしばらくお休みです)

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コキクザキイチゲ

2010/03/23 02:49
高尾山の沢沿いで、キクザキイチゲ(菊咲一華)より随分小さい花を見つけました。自分で見つけたのではなく、高尾山をかなり歩いていそうな人が、コキクザキイチゲ(小菊咲一華)だと教えていただきました。
帰ってから山渓ハンディ図鑑とネットで調べましたが、間違いなさそうです。箱根や丹沢で見られるといいますから、奥が深い高尾で見つかってもおかしくはありません。(これは新発見!かも知れないと思っています)

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(コキクザキイチゲ)           (キクザキイチゲ)
 
小菊咲一華/キンポウゲ科/イチリンソウ属。
山地の落葉樹林内に生える多年草。
葉は3出複葉で輪生し、花弁状の萼片は8〜13個である。花弁状の萼片は8〜13個である。
名前の由来:キクザキイチゲ(菊咲一華)に比べて小型であることからこの名が付いた。
花期:4〜5月。
(高尾山)

(復旧しましたがしばらくお休みです)

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マルバルリハナガサモドキ

2010/03/22 06:41
相模原公園の温室に十字の白い花が咲いていました。本来は夏から秋の花のようですが、温室なので何時も咲いているのでしよう。
常緑小低木の名前は、マルバルリハナガサモドキ(丸葉瑠璃花笠擬き)という欲張った名前です。名前からはルリハナガサ(瑠璃花笠)に似た花で、丸葉ということになります。
花だけで比較しますと、ルリハナガサモドキにはそっくりですが、ルリハナガサにはあまり似てないと感じました。

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丸葉瑠璃花笠擬き/キツネノマゴ科/ルリハナガサモドキ属。
南太平洋を原産地とするキツネノマゴ科の常緑小低木。
葉は幅の広い楕円形で対生し、緑色から黄色へと変化する。白い十字の花は、中央に赤い斑点がある。
名前の由来:ルリハナガサモドキ(瑠璃花笠擬き)の変種で、葉が丸いことからこの名が付いた。
花期:8〜10月。
(神奈川県立相模原公園)

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サルココッカ

2010/03/21 10:45
きょうから選抜高校野球が始まったが、開会式で中断しながらブログを作成している。競技は違うが、自分の青春を思い出し、開会式をみると熱くなってきます。
けさはあもしろい花を東京薬科大学で見つけた。昭和記念公園のチャセンバイ(茶筅梅)に似たように、花弁がなく直接雄しべや雌しべが飛び出しています。雄しべの葯の色が綺麗に見えます。
gooのブログからメールで回答があり、有料ブログの10日間の無料試行期間を設け、キャンペーンが終わったので、無料会員は特別の操作をしないと、ログインできなくしているとのことでした。
誰を対象にしたのかわかりませんが、お騒がせのことです。
gooブログはかなり働き詰めなので、回復はしましたが、1週間ほど休ませるつもりでいます。

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サルココッカ/ツゲ科/サルココッカ属。
インドやマレーシアなどを原産地とするツゲ科の常緑低木。
葉は楕円形で互生し、雌雄異花の花には花弁はなく、萼から雄しべや雌しべが直接でる。実は黒から熟すと赤くなる。
名前の由来:ギリシャ語の「肉質の果実」からこの名が付いた。
花期:3〜4月。
(東京薬科大学植物園)

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ノジスミレ

2010/03/20 08:13
何時までもスミレ(菫)の仲間を敬遠することもできず、少しずつ学習しながら分類することにしましよう。
まだスミレの開花は少ないのですが、東京薬科大学植物園と八王子市内の林の縁で同じ種類を見つけました。 いずれも野の道端に近い所から、これがノジスミレ(野路菫)だと思います。上の画像は葉の上のごみを、少し取り除けばよかったのではと反省しています。

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(八王子市内の林の縁)

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(東京薬科大学植物園)

野路菫/スミレ科/スミレ属。
山野や道ばたなどに咲くスミレ科の多年草。
葉は披針形で先は尖り、根本から葉と花茎をだす。葉の柄には狭い翼がある。花茎の先端に紫色の花を付ける。
名前の由来:日当りの良い山野や道ばたなどに多いスミレからこの名が付いた。
花期:3〜4月。
(多摩丘陵)


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カンヒザクラ

2010/03/19 13:31
こんにちは。gooのブログの調子が悪く、いま問い合わせをしています。回復まではウェブリブログで続けます。
橋本の高層マンション街のカワヅザクラ(河津桜)が終わったと思いましたら、その近くで鮮やかな緋色の桜が満開になりました。
カンヒザクラという桜で、名前の由来も、ヒガンザクラ(彼岸桜)と混同しやすいので、自らヒカンザクラ(緋寒桜)の文字を入れ替え、カンヒザクラ(寒緋桜))にしたという奥ゆかしい桜のようです。でも花は下をうつむいていますが、形も色もかなり派手に見えます。

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寒緋桜/バラ科/サクラ属。
バラ科の落葉高木。別名ヒカンザクラ(緋寒桜)。
公園中として植えられ、花は濃紅色。
名前の由来:寒い時期に咲く、緋色のサクラからこの名が付いた。
花期:3〜4月。
(相模原市橋本)



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牧野家ゆかりの雛人形

2010/02/28 10:17
数年前から「越後長岡ひなものがたり」が開催されていますが、発端は牧野家のひな人形が栃尾で発見されたことに始まります。
越後長岡藩の藩主は優れた殿さまが多いのですが、その中でも幕末3代の藩主忠雅、忠恭、忠訓は明君として知られています。今年の大河ドラマ「龍馬伝」の中でも、若い筆頭老中阿部正弘を助ける、海防掛老中の牧野忠雅の字幕が時々でてきます。
忠雅の養嗣子忠恭の正室とう姫さまが、つね姫さまの初節句に、とう姫さまの実家の遠州掛川藩太田資始(太田道灌の子孫)から、お祝いのひな人形が贈られてきました。数奇な運命を辿ったひな人形は、栃尾の瑞雲寺に舞い戻り、つね姫さまのひな人形とわかり、公開されることになりました。
越後長岡ひなものがたりでは、牧野家のひな人形を中心に、市内各所で各種のひなが展示され、規模も年々大きくなっています。そこに今回は、「喜内様阿福様の像」が加わったことになります。喜内様(後の三代将軍家光)の母の桂昌院は本庄家の出身ですが、このひな人形で遊んだつね姫さまの夫となる忠訓を、丹後宮津藩本庄家から迎えるのも、歴史の不思議なところであります。

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(越後長岡ひなものがたりの中心は牧野家のひな人形)

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(牧野家のひな人形のいわれ)

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(喜内様阿福様の像の隣に牧野家のひな人形)

ひな人形は有名な江戸人形師の名人二代目仲秀英(なかしゅうえい)の作で、秀英は人形師の最高位を極めますが、39歳で亡くなったことで、秀英のひな人形はとても少ないと言われています。太田家がつね姫の誕生を祝い、当時の最高位の人形師に造らせたのが伝わってきます。
牧野家のひな人形は、五人囃子はいますが、三人官女や随身(右大臣、左大臣)はありませんが、家紋の入った膳揃え、駕籠、鏡などの品が充実しています。名人仲秀英による人形の端正な顔立ちと、五人囃子や雛道具の数々をご覧下さい。

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(牧野家の雛人形。クリックで拡大できます)

ひな飾りで男雛をどちら側におくか議論になることがありますが、向って右が京都古式で、東京では昭和天皇の即位式にならって左側にならべるようになりました。牧野家の男雛は、古式に則り右に置かれています。
下の画像は長岡市内で見たひな人形です。三人官女、五人囃子、随身、三歌人など、牧野家の落ち着いた雰囲気と違った華やかさがあります。

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喜内様阿福様の木像が長岡に

2010/02/27 15:33
早春の長岡の行事としまして、「越後長岡ひなものがたり」が風物詩となりつつあります。特に今年は、牧野忠昌さまの古希と若殿牧野忠慈さまの成人の慶事に合わせ、信州小諸から左甚五郎作と伝わる「喜内様阿福様」が長岡にやってきました。喜内(きだい)様は後の3代将軍家光で、阿福(おふく)様は春日局であります。将軍家光が、乳母春日局の慈愛と功績を忘れないために、時の名工「左甚五郎」に彫らせ、そばに置いたと言われます。
門外不出と言われ、小諸を離れるのは極めて異例のことで、長岡市と小諸市の関係が、今後深まりそうな出来事であります。開幕式には牧野忠昌さまご夫妻、旧三根山藩牧野忠由さま、森民夫長岡市長、小諸市の関係者などが多数参加されました。
5代将軍綱吉の父は家光、母は公家の本庄氏から側室となった「お玉(後の桂昌院」であります。春日局と桂昌院の権力は極めて高く、本庄家も大名に取り立てられ松平姓を許されました。家光はこの大切な像を桂昌院にお与えになり、桂昌院は実家である本庄家の康重が小諸牧野家に養子になった時に像を持たせたと伝わります。
将軍綱吉と牧野康重は従兄弟の間になりますので、小諸藩は石高が少ないのですが由緒ある家とされています。
幕末動乱期に長岡藩の舵取りをする当主牧野忠訓が、本庄家から養子に迎えられるのも歴史の不思議なところでありましょう。
「越後長岡ひなものがたり」には、幕末の長岡藩主牧野忠恭公の奥方とう姫が、つね姫(後の忠訓の奥方)を生んだことを祝い、実家の掛川藩太田資始(すけとも)から贈られた雛が展示されています。有名な人形師仲秀英(なかしゅうえい)の作品ですが、雛祭りが近づいたらブログに載せたいと思います。
喜内様阿福様の画像は使用を禁じます。なお、全ての画像品質は落としています)

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(信州小諸藩牧野家門外不出の左甚五郎作「喜内様阿福様」の像)

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(ご挨拶と経緯を説明される牧野忠昌さまと発表会場)

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(信州小諸藩牧野家の人形について)

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(徳川家と小諸牧野家の系図と春日局)

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(喜内様の後の三代将軍家光と阿福様の春日局)

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(長岡市内の越後長岡ひなまつりの展示)




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長岡でお祝いの催し

2010/02/20 13:38
平成22年2月19日、雪まだ深い越後長岡で、めでたい催しがありました。金峯神社桃生保男宮司の一級昇進、それと牧野家のご当主牧野忠昌さまの古希と若殿忠慈さまの成人のお祝いであります。
金峯神社は和銅2年(709)に、元明天皇の勅願により北国鎮護に、大和国吉野の金峯山本堂からの分祀した歴史を持ち、牧野家とも関係が深い由緒ある神社であります。

宮司の中でも一級は極めて少なく、長岡で蔵王さまと慕われる神社に、いっそう輝きが増すことでしょう。
牧野忠昌さまの古希は、歴代でも古希を迎えた当主は少なく、初代藩主の忠成公が75歳、9代藩主で老中に昇進した忠精公が72歳、これに継ぐ長寿で嬉しいかぎりであります。
また若殿さまの忠慈さまの成人は、次のご当主としてのお披露目でもあり、それを祝うのに牧野家と長岡藩の発祥の豊川の地からもお祝いに駆けつけました。 
(画像品質は落としています)
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(古希を迎えられ、ご挨拶される牧野忠昌さま)

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(祝辞を述べられる森民夫長岡市長と三根山藩ご当主牧野忠由さま)

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(栄えある一級宮司の桃生保男さまと喜びの牧野忠昌さまとご長男忠慈さま)

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(金峯神社桃生保男宮司のご挨拶と若殿牧野忠慈さまのご挨拶)

牧野家からは五間梯子と牧野柏紋の入った文鎮が出席者におくられました。五間梯子は長岡藩の旗印でありますが、登り梯子とも言われるめでたい印とされています。七五三に合わせ、七段、五段、三段があり、殿さまは七段の五間梯子を使われます。
桃生家からは、菊の御紋に続いて高貴な紋とされます、「五七桐紋」の入った判子入れでした。どちらも日用品としての記念品であるが、どちらもお宝でとても使うことができそうもありません。
お祝いの催しがありましたホテルで、特別パネル展としまして「越後に捧げた常在戦場の精神=牧野一族と金峯神社」が開催されています。
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(牧野家からの五間梯子と牧野柏紋の記念品)

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(元山古志村村長の長島忠美議員の祝辞と出席者で記念撮影など)

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(特別パネル展と金峯神社のいわれ)




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