|
早春の長岡の行事としまして、「越後長岡ひなものがたり」が風物詩となりつつあります。特に今年は、牧野忠昌さまの古希と若殿牧野忠慈さまの成人の慶事に合わせ、信州小諸から左甚五郎作と伝わる「喜内様阿福様」が長岡にやってきました。喜内(きだい)様は後の3代将軍家光で、阿福(おふく)様は春日局であります。将軍家光が、乳母春日局の慈愛と功績を忘れないために、時の名工「左甚五郎」に彫らせ、そばに置いたと言われます。 門外不出と言われ、小諸を離れるのは極めて異例のことで、長岡市と小諸市の関係が、今後深まりそうな出来事であります。開幕式には牧野忠昌さまご夫妻、旧三根山藩牧野忠由さま、森民夫長岡市長、小諸市の関係者などが多数参加されました。 5代将軍綱吉の父は家光、母は公家の本庄氏から側室となった「お玉(後の桂昌院」であります。春日局と桂昌院の権力は極めて高く、本庄家も大名に取り立てられ松平姓を許されました。家光はこの大切な像を桂昌院にお与えになり、桂昌院は実家である本庄家の康重が小諸牧野家に養子になった時に像を持たせたと伝わります。 将軍綱吉と牧野康重は従兄弟の間になりますので、小諸藩は石高が少ないのですが由緒ある家とされています。 幕末動乱期に長岡藩の舵取りをする当主牧野忠訓が、本庄家から養子に迎えられるのも歴史の不思議なところでありましょう。 「越後長岡ひなものがたり」には、幕末の長岡藩主牧野忠恭公の奥方とう姫が、つね姫(後の忠訓の奥方)を生んだことを祝い、実家の掛川藩太田資始(すけとも)から贈られた雛が展示されています。有名な人形師仲秀英(なかしゅうえい)の作品ですが、雛祭りが近づいたらブログに載せたいと思います。 (喜内様阿福様の画像は使用を禁じます。なお、全ての画像品質は落としています) (姉妹版)中越地震復興「寅太の山野草」 (ホームページ)慈眼寺のホームページ“管理人のひとりごと”
|
| << 前記事(2010/02/20) | ブログのトップへ | 後記事(2010/02/28) >> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2010/02/20) | ブログのトップへ | 後記事(2010/02/28) >> |