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zoom RSS テーマ「幕末維新」のブログ記事

みんなの「幕末維新」ブログ


米百俵

2016/11/22 00:18
本日pm10時から、NHK・Eテレ「知恵泉」で「米百俵」が放映されます。
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(米百俵の小林虎三郎)


また本日からブログは姉妹版の寅太の山野草に戻ります。


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NHK・Eテレ「知恵泉」で「米百俵」

2016/11/17 06:12
NHK・Eテレ「知恵泉」11月22日(火)pm10時から「米百俵」が放映されます。
2013年度の「知恵泉」河井継之助に続き、継之助のライバル小林虎三郎が取り上げられます。
小泉首相の所信表明演説以来の久々の全国ネットでの登場です。
米百俵は山本有三の原作ですが、久しぶりに 「米百俵」執筆の地(三鷹市)を訪れたくなりました。

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(長岡市の米百俵の群像と米百俵まつり)

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(おまけは自宅のイトラッキョウ)
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長岡城「御三階」の復元模型

2016/11/02 02:46
9月の北の旅の途中で、牧野家資料館に寄りました。目的は最近できた長岡城「御三階(おさんかい)」の復元模型を見ることでした。
江戸時代も初期を過ぎると武家諸法度により一国一城令や天守建築は原則として禁止され、三階櫓などが天守の代用となりました。長岡城も例外ではなく、御三階が天守に相当していたと伝わります。
長岡城を描いた風景画などを参考にして、縮尺30分の1の大きさで復元模型を造りました。幻の長岡城の姿がまた一つ明らかになりました。
牧野家と家臣が前橋市大胡から新潟県上越市長峰を経由して長岡に移ってきたのは1618年でした。2年後の2018年には長岡開府400年となり開府400年祭が予定されていますが、この御三階の復元もその一環です。
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(復元された長岡城の御三階)

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(牧野家資料館とともにできた長岡城の忠実な模型)

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(人物などかなり精巧にできています)
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衣紋道の見学

2014/12/13 23:18
束帯などの着装する技術を衣紋と呼びますが、平安時代からこの伝統は山科流と高倉流として引き継がれています。
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(衣紋道の見学:霞会館2014.12.13)
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2014年招魂社祭

2014/05/18 17:07
招魂社祭
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(招魂社祭:長岡市2014.05.18)
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2013年米百俵まつり時代行列

2013/10/05 12:14
米百俵まつり時代行列
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(米百俵まつり時代行列:長岡市2013.10.05)
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2013年度招魂社祭

2013/04/19 18:26
2013年度の招魂社祭が長岡市悠久山で行われました。
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戦火をくぐった「五間梯子」の肩章

2012/02/07 15:49
長岡藩の歴史について、東京地区で語り合う史談会の集まりがあります。先日は新潟市から飛び込みで、Mさんが参加されました。ご先祖は戊辰戦争で西軍と戦い、特に長岡藩の軍資金の記録を、事細かに記録していました。
河井継之助は負傷した体を、担架に乗せられ、八十里越を、只見に落ちのびました。
それと前後するように、もう一つの担架に、長岡藩の秀才と言われた渡辺進が乗っていました。新潟から持ち込んだ古文書には、渡辺進の文字は読み取れますが、その場での解読はできませんでした。
Mさんは古文書とともに、長岡藩の藩旗の「五間梯子」の肩章を持参されました。長岡城の攻防戦、八十里越そして会津戦争の、戦火を潜り抜けた肩章に、参加者はじっと見つめました。
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(長岡藩の「五間梯子」の肩章) 


(姉妹版)中越地震復興「寅太の山野草」

(ホームページ)慈眼寺のホームページ“管理人のひとりごと”

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2011年米百俵まつり

2011/10/17 09:52
本年度の米百俵まつりが10月8日(日)に、長岡市の中心街で開催されました。市民約500人が扮する時代行列が、米百俵まつりの呼び物です。
今回は年末に公開を控える映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」で、五十六の側近を演じる俳優の吉田栄作さんが、映画で着用した白い軍服姿で登場し、観客の拍手を浴びました。
画像は馬上姿も凛々しい、第17代長岡藩ご当主の牧野忠昌さまです。

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(馬上は旧長岡藩ご当主牧野忠昌さま) 



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平成23年度招魂社祭開催

2011/05/20 23:51
本年度の招魂社祭が5月15日(日)に、蒼柴神社の招魂社で行われました。今年も全国から多数の参加があり、おごそかの中にも盛大に取り行われました。
引き続き参集殿にて、柏友会の総会があり、佐藤守会長の挨拶に続き、名誉会長の旧長岡藩主牧野忠昌様、名誉顧問の旧三根山藩主牧野忠由様のご挨拶がありました。
今回の記念講話は、北海道教育大学の小川和也先生の「長岡藩の学問と藩政改革−『御家』の思想と秋山景山」でした。
その後直会に移り、牧野忠昌様の乾杯により、参加者の懇親を深め、来年の再会を願って散会となりました。

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タイトル 日 時
越後長岡藩抱え屋敷
越後長岡藩抱え屋敷 建設中の東京スカイツリーは、高尾山からは新宿副都心の高層ビルの上に見える。スカイツリーの建設地の墨田区を調べていたら、偶然にも旧長岡藩の抱え屋敷があることがわかった。すでに江戸の長岡藩の藩邸として、上屋敷、中屋敷、下屋敷について述べてきた。スカイツリーの建設地から500mも離れていない所に、長岡藩の縁の屋敷があったのには驚かされた。 整然と区画整理が行われた向島3丁目で、都立本所高校の西側だけが複雑に湾曲しているのは、抱え屋敷が存在して名残りであろう。 抱え屋敷の付近を歩いたのは、先日の10... ...続きを見る

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2010/11/01 00:26
牧野家ゆかりの雛人形
牧野家ゆかりの雛人形 数年前から「越後長岡ひなものがたり」が開催されていますが、発端は牧野家のひな人形が栃尾で発見されたことに始まります。 越後長岡藩の藩主は優れた殿さまが多いのですが、その中でも幕末3代の藩主忠雅、忠恭、忠訓は明君として知られています。今年の大河ドラマ「龍馬伝」の中でも、若い筆頭老中阿部正弘を助ける、海防掛老中の牧野忠雅の字幕が時々でてきます。 忠雅の養嗣子忠恭の正室とう姫さまが、つね姫さまの初節句に、とう姫さまの実家の遠州掛川藩太田資始(太田道灌の子孫)から、お祝いのひな人形が贈られてきました... ...続きを見る

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2010/02/28 10:17
喜内様阿福様の木像が長岡に
喜内様阿福様の木像が長岡に 早春の長岡の行事としまして、「越後長岡ひなものがたり」が風物詩となりつつあります。特に今年は、牧野忠昌さまの古希と若殿牧野忠慈さまの成人の慶事に合わせ、信州小諸から左甚五郎作と伝わる「喜内様阿福様」が長岡にやってきました。喜内(きだい)様は後の3代将軍家光で、阿福(おふく)様は春日局であります。将軍家光が、乳母春日局の慈愛と功績を忘れないために、時の名工「左甚五郎」に彫らせ、そばに置いたと言われます。 門外不出と言われ、小諸を離れるのは極めて異例のことで、長岡市と小諸市の関係が、今後深まりそう... ...続きを見る

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2010/02/27 15:33
長岡でお祝いの催し
長岡でお祝いの催し 平成22年2月19日、雪まだ深い越後長岡で、めでたい催しがありました。金峯神社桃生保男宮司の一級昇進、それと牧野家のご当主牧野忠昌さまの古希と若殿忠慈さまの成人のお祝いであります。 金峯神社は和銅2年(709)に、元明天皇の勅願により北国鎮護に、大和国吉野の金峯山本堂からの分祀した歴史を持ち、牧野家とも関係が深い由緒ある神社であります。 ...続きを見る

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2010/02/20 13:38
第8回全国藩校サミットin長岡
第8回全国藩校サミットin長岡 第8回全国藩校サミットin長岡の、講演会は長岡市立劇場で、徳川宗家徳川恒孝さまご列席のもとで、越後長岡藩牧野忠昌大会実行委員長の挨拶で始まった。越後長岡藩の藩校は「崇徳館(そうとくかん)」で、河井継之助や小林虎三郎らが学んだ。崇徳館と米百俵の流れをくんだ長岡高校からは山本五十六など、多くの人材を輩出している。長岡藩ご当主の牧野さまが、名誉職でない大会実行委員長を、自ら務めるのも異例のことである。これは「常在戦場」の長岡藩らしい人選で、大会開催に当たり実行委員長は、頻繁に東京と長岡を往復された。参... ...続きを見る

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2009/06/25 11:22
平成21年の招魂社祭
平成21年の招魂社祭 今年の招魂社祭が長岡市悠久山の、蒼柴神社に隣接する招魂社でしめやかに行われた。戊辰から140年、長岡藩士の末裔とそれにゆかりのある者の集まりの柏友会が中心になり、づっと続けてきた。長岡城が最初に落城した5月19日に合わせるように、全国から集まってくる。 中越地震から4年が経過し、参道の蛇橋は復旧したが、まだ良く見れば地震のつめ跡は各所に残っている。 招魂社祭の神事の間は、どうしたことか毎年のように雨が降り出す。戦場に散った長岡戦士の涙なのだろうか。 友藩の会津からは、毎年のように関係者が参... ...続きを見る

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2009/05/24 17:55
全国藩校サミットin長岡(米百俵の精神を全国に)
全国藩校サミットin長岡(米百俵の精神を全国に)  江戸時代に藩がつくった学校(藩校)があった都市で年1回開かれている「全国藩校サミット」が、来年6月下旬に長岡市で開かれることに決まった。 ...続きを見る

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2008/05/19 17:24
その時歴史は動いた
NHK総合テレビの「その時歴史は動いた」の317回は、いよいよ河井継之助の登場である。 題目は、北越の蒼龍 ”明治”に屈せず〜河井継之助 地方自立への闘い〜となっている。 地方自立の切り口から河井継之助を語る今回の放送はとても楽しみである。 ...続きを見る

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2008/03/03 12:17
週刊「司馬遼太郎U」発売
週刊「司馬遼太郎U」発売  昨日から“慈眼寺のホームページ”のアクセスが大幅に増えた。どこかで何かのイベントがあったものと思われた。 案の定、今朝の朝日新聞には週刊「司馬遼太郎U」本日発売の文字が大きく踊っていた。 今回の発刊は、昨年週刊朝日に連載されていた「関ヶ原」、「梟の城」、「世に棲む日日」、そして「峠」“河井継之助の見果てぬ夢”である。 ...続きを見る

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2007/04/16 18:22
山古志の避難指示全面解除
山古志の避難指示全面解除   中越地震で最後まで継続していた旧山古志村5集落(現長岡市)に対する避難指示が、4月1日午前9時に解除された。 ヘリコプターによる全村避難から、実に約2年5カ月ぶりのことである。報道によれば対象となるのは141世帯416人だが、そのうち帰村を希望する世帯は、約半数の73世帯にとどまるとのことで、中越地震の傷跡の深さをあらためてうかがわせる。 それに先立つ3月24日には、土砂崩落で不通となっていた妙見の県道(旧国道17号)が復旧し、長岡と小千谷を結び山古志へ通ずる大動脈がつながった。 ...続きを見る

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2007/04/03 16:37
牧野家ゆかりの雛人形
牧野家ゆかりの雛人形 長岡藩牧野家ゆかりの雛人形が、長岡城の跡地の一角に建つ長岡グランドホテルで展示され、百数十年ぶりの里帰りと話題になっている。 この雛人形は、長岡城の落城後は数奇な運命を辿り、栃尾の小貫の瑞雲寺のご好意で、長岡市との合併を機に、長岡城への里帰りが実現した。 ...続きを見る

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2007/03/01 01:57
闘牙の引退断髪式
闘牙の引退断髪式   1月27日に元小結「闘牙」の引退断髪式と準年寄「闘牙」の襲名披露が、国技館で行われた。 断髪式のハサミ入れは約300人で、襲名披露には千数百人が集まった。親の出身地である長岡からも引退を惜しんで、バス1台を貸しきって会場に駆けつけた。 河井継之助も相撲が大好きで、小国出身の強豪力士「両国」を藩のお抱え力士として、三段梯子の化粧回しを贈った。 「峠」でも長岡藩邸の留守居を「両国」に頼んだとある。 「『相撲の両国に留守居させよう』ということであった。どの大名でも、捨て扶持をあたえていわば... ...続きを見る

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2007/01/28 19:35
河井継之助の見果てぬ夢(その3)
河井継之助の見果てぬ夢(その3)  週刊朝日の「河井継之助の見果てぬ夢」の第5回と第6回が発行された。 12月15日号の第5回は「八十里越」、12月22日号の第6回は「長岡人の矛盾」である。 ...続きを見る

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2006/12/12 13:47
河井継之助の見果てぬ夢(その2)
河井継之助の見果てぬ夢(その2)  週刊朝日の「河井継之助の見果てぬ夢」の第3回と第4回が発行された。 12月1日号の第3回は「地球を考える人」、12月8日号の第4回は「豪すぎた弟子」である。 ...続きを見る

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2006/11/28 23:06
多摩森林科学園の江川ヒノキ
多摩森林科学園の江川ヒノキ  八王子市の甲州街道から少し入ったところに廿里(トドリ)という地名がある。由来は「秩父まで十里、鎌倉まで十里」から名づけられたという。 ここは多摩御陵の土地としても知られており、御陵に隣接して多摩森林科学園がある。明治から宮内省の林業試験場であったが、戦後は独立法人の森林総合研究所の管轄になった。 ...続きを見る

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2006/11/13 00:33
幕末維新祭り
幕末維新祭り  毎年10月第4土曜・日曜にかけて、東京都世田谷区若林の松陰神社を中心に萩・世田谷幕末維新祭りが開催されている。 若林の松陰神社は文久3年(1863)、高杉晋作らが刑死した吉田松陰を、小塚原回向院からこの地に埋葬したことに始まる。 ...続きを見る

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2006/10/30 22:41
阪神の連覇ならず
阪神の連覇ならず  2006年度のプロ野球セリーグは、竜虎が激しく首位を争ったが、安定した投手力を中心に守りの野球を実践した中日ドラゴンズがペナントレースを制した。 現役時代からクールな男だった落合博満監督は、試合途中から優勝を確信して何度も涙をぬぐった。  川上、山本、岩瀬を中心とした安定した投手陣と、内外野の鉄壁な守りの野球である。特に荒木、井畑の二遊間を守る本来は脇役の一、二番コンビが素晴らしい。 打者としては3冠王としての経験を持つが、オレ流の男として指揮官を疑問視された落合監督は、選手を最大... ...続きを見る

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2006/10/11 08:54
安倍総理大臣誕生
安倍総理大臣誕生  9月26日、安倍晋三が90代57人目の総理大臣に選出された。 長州から8人目となる52歳の若い総理大臣の誕生である。過去長州からは、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作を輩出してきた。 ...続きを見る

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2006/09/26 20:03
安倍晋三と米百俵
安倍晋三と米百俵  9月に入り小泉政権後の政局が加熱すると思っていたら、国会の先生方は勝馬の官房長官・安倍晋三への圧倒的な支持が集まりだした。 秋風とともに総裁選はすでに終盤の様相である。 5年間の小泉政権は「米百俵」で華々しく船出したが、国民の痛みの結果は格差社会を生み出したともいう。 安倍晋三はこの5年間の「米百俵」の結果をみて、教育改革が欠如していたことを指摘し、改革に取り組む姿勢を見せている。 ...続きを見る

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2006/09/03 13:21
若虎“藤川”お見事
若虎“藤川”お見事 今年のオールスター戦は最近になく面白かった。 我がタイガースの若き虎に成長した藤川が全パの強打者をきりきり舞にした。 第1戦のカブレラ、小笠原に続き、第2戦は清原と真っ向勝負になり、全て150キロ以上の直球で三振にきって捨てた。 ...続きを見る

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2006/07/24 14:41
司馬遼太郎「峠」におもう
司馬遼太郎「峠」におもう  司馬遼太郎の「峠」が発行されたのは、昭和43年(1968)10月10日である。 それより前に毎日新聞に連載されていたが、世に知れ渡るのは本が発刊されてからのこ とである。    河井継之助が失意の中で只見で亡くなるのは、慶応4年(1868)8月16日であるから、ちょうど100年目のことである。 「よろしく公論を百年の後にまって玉砕せんのみ」と、全藩が玉砕の道を選んだが、明治維新から140年がたっても継之助の評価は解らない。 ...続きを見る

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2006/06/18 12:49
朝日山古戦場の復興
朝日山古戦場の復興  6月10日と11日に小千谷市の浦柄にある朝日山古戦場の整備を行ったようだ。 全国からボランティアが入り、総勢180人にのぼったとのことである。 本来の朝日山山頂への道は中越地震で大きく崩れたので、旧道が急遽復活することになった。 今回はこの旧道と看板の整備が中心だったようだ。 ...続きを見る

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2006/06/12 11:22
象門塾の二虎
象門塾の二虎  2002年5月7日、小泉内閣が発足し、最初の所信表明演説のむすびで小林虎三郎の「米百俵の故事」を引用し、「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々(われわれ)に必要」と演説した。    それから4年後の1月20日、小泉総理の最後といわれる通常国会の施政方針演説のむすびで、吉田松陰が好んで用いた孔子の言葉を引用し、「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」と演説した。 小泉総理の演説でくしくも佐久間象山の塾に学び、象門塾の二虎といわれた二人が... ...続きを見る

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2006/02/15 16:52

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