“慈眼寺のホームページ”管理人のひとりごと

慶応4年(1868)5月2日、小千谷の慈眼寺において、西軍の軍監岩村精一郎と長岡藩総督河井継之助が会談した。
和平への努力もむなしく会談は決裂し、戊辰戦争の最大の戦いが始まった。

西軍(新政府軍)西郷隆盛と東軍(幕府軍)勝海舟の会談で良く知られているのは、田町の薩摩屋敷であるが、史実を伝えるのは田町駅前に残された会見記念碑である。

しかし小千谷の慈眼寺の場合は、会談に使用された部屋が「会見の間」として百数十年そのままの形で保存されてきた。
平成17年10月23日、平和の大切さを訴えてきた「会見の間」を中越地震が大きく揺さぶった。
「会見の間」がもたらしたものは何だったのか、ゆかりの自治体からの切り口で、「“慈眼寺のホームページ”管理人のひとりごと」として戊辰北越戦争とその背景を探る。
そして被災した「会見の間」と中越地区の1日も早い復興を祈らずにはおられない。
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阪神タイガース連覇へ

暮れの日本テレビ「河井継之助ー駆け抜けた蒼龍ー」で、継之助が只見で亡くなる今際に、外山寅太(外山脩造)などに日本の未来を託す場面があった。
「武士の世は終わり、これからは商人の時代になる」

しかし外山脩造のその後は伝えていない。
脩造は中津藩の福沢諭吉に学び、日本銀行経由で大阪の財界に入った。そこで阪神電鉄、朝日麦酒、大阪ガスなどの企業を設立した。
継之助を主演した中村勘三郎も、「阪神タイガースの虎は寅太からでたのかも」と語っていた。私も寅太説を信じたい一人である。

寅太を生んだ長岡は中越地震から不死鳥のように蘇る。阪神タイガースのセリーグ連覇、そして今度は日本一になって欲しいものだ。阪神電鉄の買占めにに話題がいっているが、阪神タイガース生みの親「外山脩造」にも注目して欲しい。
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河井継之助の改革

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 第18代中村勘三郎襲名記念の大型時
代劇「河井継之助ー駆け抜けた蒼龍ー」
が、日本テレビで放映された。
2時間半で継之助の人生を演じるのは難
しく、主演の勘三郎も時間が足りなかった
としきりに反省していた。

 正月休みに録画したものを数回見たが、
見るたびによくできたドラマだと感じてい
る。
継之助は戦争を回避しようと奮闘したが、
最後は長岡を戦争に巻き込んだ張本人として、いまでも彼の評価は分かれている。
越後の生んだ英雄上杉謙信と同様に、時間の経過とともに見直されていくことだろう。

 継之助の残したもので最も注目されるのは藩制改革である。ドラマの最後に「民者國之本 吏者民之雇」(たみはくにのもと りはたみのやとい)の字幕が大きく流れた。彼は西洋人との交わりから、国への民が国のもとで、役人は民の雇われ人であるとはっきり言い切っている。

 ドラマでは河税の廃止、賭博の禁止、遊郭の廃止などを取り上げていたが、紹介されなかった中で最も大きな改革は、禄高の改正と適材適所への人材登用だったと思う。藩士の禄高をほぼ100石に平準化し、上席家老の自らの禄高は120石の増減なしに据え置いた。
備中松山藩の山田方谷を教えを受け、実践した河井継之助の改革には学ぶところが実に多い。

司馬遼太郎ふたたび

文藝春秋から没後十年特別企画「司馬遼太郎ふたたび」が発刊された。
グラビア特集で、「功名が辻」、「竜馬がゆく」、「燃えよ剣」、「坂の上の雲」、「王城の護衛者」、「翔が如く」そして「峠」の7作品を、「司馬作品の舞台をゆく」として紹介している。

「小千谷・慈眼寺の談判が決裂し、榎峠、朝日山で激戦となった。平成16年10月の中越地震は、その河井継之助の歴史風景を直撃した。慈眼寺は甚大な被害を被った。崩落土砂に埋まった車から、奇跡的に雄太ちゃんが救出された現場が榎峠で、近くの朝日山の古戦場はいまだ立ち入ることができない(文藝春秋「司馬遼太郎ふたたび」より)」
「峠」文学碑は榎峠を一望できる小千谷市高梨にある。文学碑と榎峠の間は、信濃川とその河川敷である。
中越地震の時には河川敷が自衛隊の臨時ヘリコプター基地となり、ここから山古志に向って大型ヘリが次々に飛び立っていた。
司馬遼太郎記念館で、唯一の文学碑として紹介しているが、地元でも知名度はいまいちである。付近は小公園になっているが、駐車場が整備されていないのも一因かも知れない。
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慈眼寺のホームページと蒼柴の杜

小千谷市と長岡市には戊辰の史蹟がたくさんある。貴重な史蹟の大半が今回の中越地震で大きな被害を受けている。当初、国や自治体の支援で復興するものと考えていたが、多くの善意の義援金でしか復興が不可能であることを知った。ひとりでも多くの人に知っていただきたいと思い、本プログを立ち上げることになった。

ブログ名の蒼柴の杜は、戊辰の史蹟の中心となる長岡市悠久山の蒼柴神社(あおしじんじゃ)一帯の地域である。
ここは戊辰戦争および太平洋戦争の戦火を免れ、中越地区のいこいの場所として多くの人に親しまれてきた。中越地震から復興し、ふたたび多くの中越地区の人々が集まることを祈って止まない。

中越地震での被害状況や復興の状況については、慈眼寺のホームページを参照していただきたい。
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